金融商品会計の意見書について

1999.7.4(日)


 先日、「金融商品に係る会計基準の設定に関する意見書」に関するセミナーを聴いてきた。これは大蔵省企業会計審議会が1月に公表したものだが、仕事上で余裕が無い生活を続けていたため、ようやく最近になって全文を読んでいる。
 読んでみると、最近の会計の潮流に沿った形でまとめられている。端的に言ってしまえば国際会計基準を日本の各種制度の枠内で適用するための「落としどころ」なのだろう。
 従来の制度会計は、継続企業の公準を大前提として、期間損益と配当可能利益の計算を目的としたシステムだった。いきおい損益計算書の優先順位が高く、貸借対照表は「あればいい」といった程度だったが、最近はそうも言っていられない。大企業の破綻が相次ぎ、貸借対照表上の自己資本という数字があてにならないということが社会的認識となり、そんな数字を出す会計というシステムが、社会的な存在価値を失ってしまった。会計とは、「○○という目的を実現するための、手順の集合体」とも言うべき、システムの一つであるから、その目的が社会的意義を失ったのであれば、社会的意義のある別の目標に向けて手順を再編成するだけのことである。
 近年話題に上ることが多くなってきた国際会計基準というのは、基本的に米国会計基準である。米国も昔は日本と同様に、期間損益計算を目的とした会計制度をとっていたのだが、彼らは変わり身が早いから、期間損益計算よりも企業の清算価値および現金獲得力の測定に社会的要請が強まると、それに合わせて会計基準を変えてしまった。今や重視されるのは、継続企業としての分配可能利益ではなく、定点観測における企業の純資産(清算価値)と、もっとも基礎的な収益力であるキャッシュフロー獲得能力である。それを見るためだったら、損益計算書における最終当期利益など多少ぶれても構わない。「損益計算書は意見、キャッシュフロー計算書は事実」と言われるゆえん。
 この米国会計基準で非常に重視されているのが、できるだけ貸借対照表や損益計算書の作為的操作可能性を排除するということである。会計により作り出された結果(財務諸表)が社会的に信頼されるためには、作為の生じる余地があってはならないというのが彼らの発想。しかしそれは、含み益に依存して、都合が悪いときには含み益を実現させることで取り繕ってきた近年の日本企業には受け入れがたい発想だった。
 また日本には、商法と会計、税法と会計といった立場の対立とも言うべき、極めて日本的な問題が存在している。会計の立場で、企業の清算価値を表すべく資産負債の時価評価を行おうとしても、商法ではそれを認めていない。商法は本来、有限責任企業に対する債権者を保護するということに重点をおいた法律であり、商法計算書類規則は債権者の保護を全うした上で、つまりは債権者が貸した金以上に企業の資産が確保されていることを確認した上で、株主に配当しても構わない利益の金額を計算する構造となっている。そこでは資産の評価について、検証可能性を重視するために取得価額を原則としているが、これが自縄自縛となっている。ある一時点において、その企業の清算価値がどれだけあるかを見るためには、資産の評価は取得価格ではなく換金可能時価でなくてはならない。企業に含み益があるうちは、会計により表された自己資本の額が実際の清算価値を下回っていたので、この問題は重要視されなかったが、企業が含み損を抱えるようになって、真剣に問題視されている。債権者保護のためであったはずの商法が、結果として債権者を害している事実を前にして、ようやく商法学者たちも資産評価の取得原価主義は軌道修正やむなしの判断に至ったらしい。彼らの同意があって、ようやく今回の意見書が日の目を見ることとなった。
 税法に関しても、日本の法人税法は確定決算主義といって、確定した財務諸表を出発点とし、そこに税法上の調整計算を加えて課税所得を計算するという方式をとっているが、これだと会計の側が税法の規定に合わせた妥協を強いられることが多い。とりあえず、今年から税効果会計が適用できることになったので、これまでよりはよほどマシになるが、それでも完全に会計が税法の呪縛から解放されるわけではないのだ。
 そんな諸々のしがらみのなかで、今回の意見書はそれなりに健闘していると思う。この意見書による「金融資産に関する会計基準」が実際に適用されるようになると、日本の会計制度はかなり改善される。
 退職給付会計もそうだが、新しい制度は素人にとってこれまで以上に理解が難しく、数字が算出される過程はブラックボックスとすら言えるかもしれない。だが出された財務諸表は、作成会社による操作の余地が相当少なく、他社との比較が容易である。これまでよりずっと役に立つ資料となるだろう。

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