退職給付信託の落とし穴
2001.03.17(土)

(要旨)
 企業が持ち合い株式の拠出で退職給付信託を設定し、退職給付債務(退職金および企業年金に係る企業の給付義務)に対する年金資産の積立不足解消を図るという動きが多く見られた。これらの企業は、積立不足を解消したというイメージを対外的に与えているが、それは幻想にすぎない。売れない資産は年金資産として不適格であり、積立不足の解消になってないということを、経理屋・経営者・会計士・マスコミは気づかない、ないしは気づいても知らないふりだが、世間がそれに気づくのは時間の問題だろう。
 退職給付信託は、安定して運用収益を狙える資産であると共に、給付の原資として適した資産でなければならない。企業を投資対象として評価するのであれば、年金資産の質も考慮することが今後必要である。


(本文)
 平成12年度の決算から「退職給付に係る会計基準」が適用されることとなり、退職給付債務対策が企業の大きな課題としてクローズアップされました。そして、会計基準変更時差異(いわゆる積立不足)を一気に費用化するため、保有株式の信託拠出を行った企業がいくつも出ています。

 通常、企業が保有する有価証券を、年金資産として退職給付信託に拠出する場合の仕訳は、次のようなものです。
(借方)退職給付引当金 ××(拠出した有価証券の時価で計上)
    (退職給付引当金の残高を超えて拠出する場合は前払退職給付費用)
(貸方)有価証券     ××
    信託設定益    ××(有価証券の売却益に相当するもの)

 上記仕訳で分かるとおり、通常であれば保有する有価証券を退職給付信託に拠出しても、退職給付費用は発生せず、会計基準変更時差異は費用化されません。しかし、12年9月末までに資産を退職給付信託へ拠出した場合に限り、次のような仕訳を行うこととされていました。
(借方)退職給付費用 ××(拠出した有価証券の時価で計上)
    (会計基準変更時差異償却)
(貸方)有価証券     ××
    信託設定益    ××(有価証券の売却益に相当するもの)

 このとおり、株を売らずに売却益を計上し積立不足償却費用をカバーできるというもので、含み益の大きい持ち合い株を多く保有する企業にとっては、売れない持ち合い株を有効活用できる魅力的な手段に見えたのでしょう。実際、トヨタなど多くの大企業が、退職給付信託を設定しました。しかし、ウマい話には裏があるというのが世間の通り相場でして、この退職給付信託も例外ではありません。

 本題に進む前に、まず退職給付費用の中身を確認しましょう。退職給付費用は、次の要素で構成されています。
1.勤務費用
2.利息費用
3.期待運用収益
4.数理計算上の差異償却
5.過去勤務債務償却
6.会計基準変更時差異償却


 勤務費用は、今期の従業員の労働の対価として発生した退職給付債務です。これを計算するに当たっては、将来の退職率や従業員の平均寿命など、さまざまな将来予測を織り込んでいまして、その予測に基づいた額をそのまま計上します。予測と実績との差異は、別途調整します。
 利息費用は、過去の労働の対価たる前期末の退職給付債務に対して支払わねばならない利息です。適用される金利は、その会社が採用した割引率です。つまり、退職給付債務は、会社の意思と関係なく、勝手に増えてゆきます。
 期待運用収益は、年金資産が稼ぎ出す運用収益です。利息費用の控除項目となっているため、年金資産が割引率と同じ運用収益を稼いだら、利息費用は実質ゼロになります。
 数理計算上の差異償却は、予想に基づき算出した勤務費用と実績値との差異を当期損益に反映させる項目で、費用のプラス項目になることも、マイナス項目になることもあります。
 過去勤務債務償却は、退職給付制度を変更したことによる退職給付債務の変動を当期損益に反映させる項目で、やはり費用のプラスになることもあれば、マイナスになることもあります。
 会計基準変更時差異償却は、退職給付に係る会計基準が適用される初年度の、期初の退職給付債務と前期末退職給与引当金(企業年金に関する引当金を計上していた会社は、それも含む)との差額、いわゆる積立不足を、当期の損益に反映させて積立ないし引き当てる項目です。過去に税法基準で退職給与引当金を計上していた企業は、ここが相当大きな金額になったことでしょう。

 さて、馴染みのない単語を沢山並べたところで、本題に戻ります。3月決算の会社が12年9月末までに保有有価証券を信託拠出した場合、株式相場が良い時期だったため、退職給付信託勘定では取得簿価が高くなっています。しかし、その後の相場下落で含み損状態となっている信託が多いことでしょう。そうすると、12年度ないし13年度から、その含み損を数理計算上の差異償却として、1年ないし複数年で引き当てる、もしくは追加拠出する必要がでるのです。さしずめ、保有株式の売却益で積立不足という一次ロスを吸収し、対策終わりと思っていたら、予期しない二次ロスが降りかかってきたようなものでしょう。
 また、退職給付信託は当然のように時価会計が適用され、運用利回りの計算も時価利回りです。そして、そういった売れない事情のある株式は、往々にして低成長会社のそれであることが多く、今後それほど大きな運用収益は見込めません。配当金収入も微々たるものでしょうから、期待運用収益は安定して低水準です。年金資産たる退職給付信託の運用利回りが低くとも、それでカバーされたはずの退職給付債務は、1年経つごとに割引率の金利で増えてゆきます。この増える部分を「利息費用」といい、やはり会社が負担せねばならないものですが、本来であれば年金資産が運用収益を稼ぐことで相殺されるという性格のものです。しかし、年金資産たる退職給付信託が割引率(12年度であれば3%台を採用する会社が多いでしょう)を大幅に下回った運用しかできず、あまつさえ評価損まで出す状況となると、将来の退職給付費用を安定拡大してしまいます。
 ついでに指摘しておくと、年金資産の中身に、持ち合い株式という「売れない資産」を抱えておくことは、退職給付の原資確保という観点からも問題です。年金資産は、将来換金して従業員に分配せねばならないものです。その資産の一部が明らかに売れないということであれば、それは年金資産として見るべきではありません。今は年金資産として認められていても、将来的には会計基準が変更され、退職給付の原資として不適格な資産は年金資産から排除されることが予想されます。そうなった時に、持ち合い株を信託した企業は、企業年金の重さを改めて思い知ることでしょう。

 持ち合い株式による退職給付信託は、退職給付会計基準を適用した初年度の積立不足を大幅に圧縮し、いかにも退職給付債務対策を進めたかのイメージを対外的に与えています。ですがその結果は、将来の費用拡大と、まやかしの年金資産です。この「負の側面」を、経理屋さんや経営者、会計士、マスコミは気づいていないか、気づいても知らぬふりをしていました。特に知らぬふりをしていた方々には、会計学の初歩として習う「アカウンタビリティ」という言葉の意味を、改めて考えていただきたい。まぁ、マスコミには期待していないですが...

 かつて日本には、自己資本がゼロコスト資金という幻想が徘徊していました。しかし、優先株の登場で、往々にして自己資本は高利回り調達となり、自己資本の質が問われる時代を迎えました。今後、年金資産も同じように、その質を問われる時代が来ることでしょう。投資対象として企業を評価する場合、その企業は本当に退職給付債務に対する積立ができているのかどうか、その年金資産の質を見なければならないと思いますが、いかがでしょう?>アナリスト諸氏


目次へ戻る